日本史 小テスト1

次の幕末に関する用語の説明と合っている選択肢を選びなさい。

問1 フェートン号事件
A  1804年ロシア船フェートン号が長崎に来航し開国を求めた事件。
B  1808年イギリス軍艦フェートン号が長崎に侵入した事件。イギリス船が出島のオランダ商館員を人質にし、水と食料を要求した。幕府は要求を呑み、人質は解放されたが、長崎奉行は責任を取って自刃した。
C  1824年イギリスの捕鯨船が常陸国の大津浜に上陸し、薪水・食料を要求した。水戸藩が船員を尋問し、壊血病者らのために新鮮な水と野菜を与えて帰国させた。事件後、藤田幽谷ら尊王派の学者の批判が強まり、翌1825年異国船打払令が出された。
D  1811年千島列島を測量中であったロシア船艦長ゴローニンが松前奉行に食料を要求したが国後島で捕縛された事件。

問2 モリソン号事件  
A  1837年アメリカ商船モリソン号が日本人漂流民7人の送還と貿易交渉を求めて浦賀に来航。異国船打払令で砲撃され、マカオに帰還。蘭学者の渡辺崋山と高野長英は幕府の政策を批判し、蛮社の獄が起こる。
B イギリス船モリソン号が薩摩藩の宝島に上陸し、牛などを奪って逃走した事件。
C オランダ人学者が門外不出の日本地図を持ち出した疑いで追放された事件。
D 蒸気船の発明者のイギリス人が日本に来航したが、砲撃で追い返された事件。

問3 ハルマ和解
A 前野良沢が作った蘭学書。
B 宇田川玄随が翻訳したオランダの内科書。
C 稲村三伯が作った最初の蘭日辞書。
D 宇田川榕菴が翻訳した化学本。

問4 南京条約
A アロー戦争に敗北した清が英米仏露列強4か国と結んだ不平等条約。賠償金のほか、治外法権と10港の開港などが決められた。
B 清と日本の間で結ばれた条約。外交使節の交換と双方に領事を駐在させる対等条約であった。
C 日本に対して山東省の権益および旅順・大連の租借、南満州鉄道の権益99か年延長する条約。
D 1842年アヘン戦争に敗北した清がイギリスと結んだ条約。賠償金支払いのほか、香港の割譲、広州、上海など5港の開港などを取り決めた。国交は対等とされていた。

問5 禁門の変(蛤御門の変)
A 会津藩が土佐藩・薩摩藩・長州藩の藩兵によって京都を追われた事件。
B 土佐藩が長州藩・薩摩藩・桑名藩の藩兵によって京都を追われた事件。
C 薩摩藩が長州藩・会津藩・桑名藩の藩兵によって京都を追われた事件。
D 長州藩が薩摩藩・会津藩・桑名藩の藩兵によって京都を追われた事件。



次の大正期・昭和初期の用語の説明について不適切なものを選びなさい。

問6 シーメンス事件
A 薩摩藩の黒田清隆が関係していた。
B 山本権兵衛内閣が総辞職するきっかけとなった。
C ドイツのシーメンス社の日本海軍の軍艦建設をめぐる贈賄疑獄事件である。
D 日比谷公園で開かれていた内閣弾劾国民大会に参加者していた民衆が国会議事堂を包囲。警官隊と衝突し、435名が検挙された。

問7 第一次護憲運動
A 尾崎行雄・犬養毅らが主導した。
B 第三次桂太郎内閣が退陣した。
C 護憲三派が活躍した。
D 「閥族打破・憲政擁護」をスローガンとした。

問8 第二次護憲運動
A 政党内閣の実現を目指した。
B 尾崎行雄が主導した。
C 総選挙で圧勝した憲政会の加藤高明が内閣を組織した。
D 普通選挙の実現を目指した。

問9 ワシントン海軍軍縮条約
A 1922年に結ばれた。
B 英米日仏伊5か国で結ばれた。
C 補助艦保有量の比率を英10:米10:日7と定めた。
D 主力艦の比率を英5:米5:日3:仏1.67:伊1.67に制限することを定めた。

問10  ロンドン海軍軍縮条約
A 立憲民政党の若槻礼次郎が全権大使だった。
B 1930年に結ばれた。
C 統帥権干犯問題を理由に浜口雄幸首相が狙撃された。
D 潜水艦の建造を禁止した。

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問1 B
A 1804年長崎にロシアのレザノフが来航し通商を要求。幕府に拒否され、帰還途中に択捉島・樺太島を攻撃した。
C 水戸藩の大津浜事件。1806年の文化の撫恤令(薪水給与令)から約20年間は、開国は拒否するが、外国船には水や食料を与えて帰す方針だったが、同じ1824年に起きたイギリス船が牛を奪った宝島事件などにより、攘夷論が台頭。翌年、異国船打払令が出される。
D 国後島で捕縛されたゴローニンは1813年まで抑留。高田屋嘉兵衛と捕虜交換により釈放。

問2 A
B 1824年の宝島事件。
C 1828年のシーボルト事件。ドイツ人医師・博物学者のシーボルトは長崎の鳴滝塾で高野長英・小関三英らに蘭学を教えていた。幕府天文方高橋景保から日本地図を贈られるが、出国時に役人に見つかり、国外追放処分となる。
D そんな事件はない。

問3 C
A 前野良沢・杉田玄白は『解体新書』を作る。杉田玄白がその時の苦労を語ったのが『蘭学事始』。弟子の大槻玄沢は蘭学の入門書『蘭学階梯』を著し、芝蘭堂を開く。
B 宇田川玄随の著作は『西説内科撰要』
C ハルマの蘭仏辞書を元に1796年に作られた最初の蘭日辞書『ハルマ和解』。木版活字で6万語収録。
D 宇田川榕菴がオランダ語の化学書を翻訳した『舎密開宗』

問4 D
A 1856年アロー戦争(第二次アヘン戦争)で結んだ条約は天津条約と北京条約。
B 1871年日清修好条規に関する説明である。日本初の対等条約。
C 1915年第一次大戦中の21か条の要求に関する説明である。
D アヘン戦争直後の南京条約は国交は対等とされたが、すぐ後に結んだ追加条約によって不平等条約となった。五港通商章程で治外法権、虎門寨追加条約で最恵国待遇を認めさせられた。アメリカとは望厦条約、フランスと黄埔条約を結ばされた。いずれも最恵国待遇により不平等な内容である。アヘン戦争の影響で幕府は異国船打払令を撤回し、再び薪水給与令を出した。

問5 D
親長州で急進的な攘夷派の公家三条実美が8月18日の政変により京都から追放されたのに対して、長州藩が巻き返しを図ったが、公武合体派の薩摩藩・会津藩らによって返り討ちにされたのが禁門の変である。この騒動で京都市中は3万戸余りが焼け、長州藩は「朝敵」となり、1864年第一次長州征討軍が組織された。

問6 A 明治時代の北海道開拓使官有物払い下げ事件の説明である。

問7 C 護憲三派の活躍は第二次護憲運動。

問8 B
尾崎行雄は普通選挙の実現には消極的だった。加藤高明(憲政会)、高橋是清(立憲政友会)、犬養毅(革新倶楽部)の護憲三派が政党内閣・普通選挙・貴族院改革・行政整理を要求した。

問9 C 補助艦保有比率を定めたのはロンドン条約。

問10 D
潜水艦の建造禁止は定めていない。主力艦についてはワシントン条約の内容を5年間延長するものだった。緊縮財政によって予算を削減された海軍関係者は統帥権干犯問題を主張し、浜口内閣を批判した。この中には当時野党の立憲政友会総裁の犬養毅と鳩山一郎も加わっていた。条約は批准されたが、浜口雄幸首相は東京駅で右翼青年によって狙撃され、重傷を負い、辞職した。

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