書評 松田時彦『活断層』岩波新書

出版年が1995年なので、前半が阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)、後半が活断層に関する地震学の知見、各地域の活断層の状況を取り上げている。本書は主に内陸の直下型地震を分析しているので、海溝型である南海トラフ地震は別の本を読んだほうがいい。

阪神・淡路大震災で動いたのは淡路島北部にある野島断層。マグニチュード7.2、最大震度7の揺れを記録した。須磨断層、芦屋断層も動いた痕跡がある。断層が動く方向は(少なくとも数万年間は)一定方向に決まっていて、神戸市では断層の北側は東あるいは北東向きに動き、南側は西または南西向きに動いた。

震源地の淡路島では畑に地割れが発生して断層のズレがはっきり出ている。

阪神大震災の脅威、活断層が水平に210cm上下に140cmずれた 30年後の野島断層 写真でたどる30年 阪神大震災の記憶③ 2025/1/4 07:00

https://www.sankei.com/article/20250104-HXGKVMDCWBPURGZVVBUUQJWYZU

現代の都市は人工物に覆われているので、断層の動いた痕跡を探すのは簡単ではないが、灯籠の倒れた方向などでも推測できる。地震発生の瞬間がコンビニの防犯カメラにも記録されている。当時は防犯カメラの設置が始まったばかりだったので、大地震発生の瞬間を捉えたほぼ最古の映像ということになる。

阪神大震災の分析は第1章に書いてあるので読んでほしい。

それ以外の断層の分析一般については第2~4章にあり、断層学の知見や分析ツールを知ることができる。第5章以下は各地域の断層の様子である。

よくいわれる活断層の周期はどのようにして推測しているかというと、2回以上断層が動かないとそもそも評価も推測もできず、ざっくり言うと2点間の距離を結んでグラフを作成するのと同様の仕組みで推測している。

歴史上の文字記録などから動いた時期を活用する方法と、実地でトレンチという溝を掘って地層を調査する方法の2種類ある。

文字記録から推測する方法をとると、日本に漢字という文字が伝来したのは1500年前、大和朝廷が古事記や日本書紀などきちんとした記録を取り始めたのは1300年前ほどだから、最大限頑張っても周期1500年以上の断層についてはあまり確実な情報がないことになる。ちなみに狭義の歴史は文字記録のとられた時代のことであり、文字記録がない時代のことは無文字時代または先史時代という。

一方、トレンチの実地調査は数十万年、数百万年単位での分析が可能だ。

内陸地震で(東日本大地震は海溝型)最大の地震は1891(明治24)年に発生した濃尾地震はM8.0という途方もない巨大地震であり、動いた断層の大きさは水平方向で8メートル(世界最大は12メートル)、垂直方向でも6メートルという凄まじさ。地割れの発生した根尾谷断層は断層丸ごと特別天然記念物として記念館の中に保存してある。必見の大きさである。

根尾谷地震断層観察館 – 本巣市

https://www.city.motosu.lg.jp/0000001399.html

結構山奥の方にあるのでぜひ見に行くべきだなどと気軽に言えないが、どうせ行くなら桜の季節に薄墨桜を見に行くついでに帰りにでも寄るのが一石二鳥だろう。ただし根尾谷断層記念館のある岐阜県本巣市の根尾水鳥(みどり)は記念館以外に何もなくて樽見鉄道の待ち時間30分くらいは覚悟しなければならないため、なるべく午前中に大垣駅を出発して遅くとも午後3時までには着くようにしておくのがベター。

樽見鉄道

https://tarumi-railway.com

↑岐阜県内の宿泊スポットと高速バスのリンクが開きます

断層の分布に関しては圧倒的に東海北陸にかけての中部地方、近畿地方、九州地方が多い。とくに中部地方はフォッサマグナの糸魚川静岡構造線の近くにもたくさんの断層があり、数が多いだけでなく、エネルギーも大きい。

中部地方の断層の特徴としては、日本の本州は中央構造線のようにおおむね東西に断層が走っていることが多いが、伊豆半島から北北西に向けて押し上げるフィリピン海プレートの影響により、断層の向きがねじまげられ、狭い間隔に多数の断層が分布している。フィリピン海プレートの運動により、富士山や日本の背骨と呼ばれる飛騨や木曽の日本アルプスの標高が高くなっている。日本で内陸地震のリスクが極めて高い地域といえよう。

近畿地方はあまり地震の多いイメージはないが、実は断層が多く、過去にも地震の記録は多い。小牧長久手の戦いの最中に起きた慶長伏見地震(1596年)で豊臣秀吉の居城であった伏見城が崩落し、徳川家康との講和のきっかけになった。阪神大震災の起こる前は「関西は地震が少ない」のが定説とされてきたらしいが、たまたま100年間地震が起きない静穏期だっただけで、断層の分布からすると頻発地帯であることは否定できない。京都北部の花折断層は地形的に観察しやすい断層だろう。

九州地方は阿蘇山など火山との連動が懸念される。国東半島の付け根、別府万年山断層帯、水縄断層、日奈久断層が切れ込みのように九州を通過している。過去の地震で有名なものは「島原大変肥後迷惑」といわれる1792(寛政4)年のM6.4の雲仙岳の活動に伴う地震で、島原背後の眉山が崩れて、有明海に流れ込んだという。

以上はすべて内陸地震の話であり、海溝型の東日本大震災や南海トラフ地震は除外している。断層の動くタイムスパンの長さを考えると、「今後30年以内に◯◯地震が起きる確率」という時の「30年」などは誤差に過ぎずあまり意味のない参考値でしかないと感じる。自分の生きているうちに発生する確率が半々程度にとらえておけばいいのではないか。過去を分析することで非常に多くの知見を得られるが、かといって未来を正確に予測することなど誰にもできない。できないが、ある程度の被害予測は可能なので防災に活かすことは可能だろう。被害ゼロにはできなくとも、被害を縮小させる減災、事後の復旧対策など事前に備えておくべきことは多い。昔の岩波新書の赤本なので全くキャッチーではない真面目な本だがそれゆえに万古不易で学ぶべきことは多い。

書評 岡潔『春宵十話』

伝説の数学者岡潔の随筆集。京都大学(当時は京都帝国大学)理学部数学科卒の岡潔は多変数函数論の分野で三大問題を解決し、世界の数学者を驚嘆させたという。岡の数学の研究成果がどれほどか自分にはまだ測り知ることができないので、他者の評判を紹介するだけにして、ここに読んだ感想を書き残しておく。

岡潔 数学者 NHKアーカイブ

https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009072047_00000

岡潔先生のやっていた内容って、今だと大学の普通のレベルの内容なのですか。- Yahoo知恵袋

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12314196172

岡潔の随筆を読んでいて感じたのが、東洋の思想、とくに老荘思想が根底に流れていることだ。無差別智や自然に従うという生活態度など老荘思想の実践者というにふさわしい。老荘思想は禅とも関わりがあり、岡潔も仏教に帰依したことがあるが、岡潔本人が大器晩成型であり(大器晩成も老子の言葉)、早熟な成果を求める早期教育にも警鐘を鳴らしている。「成熟が早くなるということに対してもっと警戒せねばいけない。すべて成熟は早すぎるよりも遅すぎる方がよい。」(『春宵十話』「人の情緒と教育」光文社文庫p.12)というところなどによくあらわれている。

「よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。(中略)私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。」(「発見の鋭い喜び」同書p.33)のくだりは、『荘子』内篇の逍遥游と斉物論そのものだ。

荘子山木篇に「不材をもって天年を終ふるを得たり」とあるが、周囲に刈り取る者がうろついていれば、岡潔のような大木は大木となる前に枯れてしまっていただろう。とくに社会が目まぐるしく変化した戦後の高度成長期は大器晩成型にはつらい時代であったろう。

天才の教育にも一言しているが、昨今の小学生から英語だプログラミングだの親や塾が教え込む早期教育とは全く一線を画する。「役に立つ教育」を幼少期から叩き込めば天才になれるはずのような利己的な単純思考を毛嫌いしている。情緒・情操が大切だという。もちろん、大金をかけて子供を海外旅行や芸術鑑賞や体験学習に連れて行って「情操教育」をほどこしているというような「情操」とは違う。

事実、岡潔はなぜ数学をやるのか聞かれて、「数学には発見の喜びがある」と答えている。とかく数学も含めて文学など実学向きでないものは一緒くたに「役に立たない」と切り捨てられがちであるが、そもそも損得のことは我関せずという態度だ。世界的に名の知れた数学者だからといって、最初から数学が得意であったわけではない。高校から数学を志向しだしたようで、小中学校ではさほどでもなかった。つるかめ算がうまく解けた記憶がないとも書いている。物語や歴史が好きでよく読んだと書いているし、芭蕉の俳句を引用したり、絵画や植物の観察や昆虫採集などに夢中になったことに言及している。本当に頻繁に出てくるので嘘偽りなく好きなのだろう。これが情緒・情操ということの本質だと思う。

「役に立たない」といって古文・漢文、歴史を切り捨てて、「役に立つ」英語やプログラミングを詰め込ませて最短ルートでエリートを育成しようという価値観とは対極に位置する。

どういう時に発見や着想が生まれたかというと、机にかじりついて数式とにらめっこしている時ではなく、席から立ち上がった時や何かほかのことをしている時に思いついたというのは示唆に富む。

試験が終わってテスト用紙を回収して教室から出た時に解法を思いついたことは自分も経験があり親近感を覚えた。

しかし、試験は一番難しい問題から解いていたというところは全く変わっている人物と言うしかない。証明問題を図を描いて考え続けて、鼻血を出して寝込んでしまうほど、疑問に思ったことは沈思熟考する性質だったらしい。

「数学=計算」ではないということも繰り返し強調している。教師の形式主義も批判している。印象に残った文を引用する。

いま、たいていの中学、高校では答案が合っているかどうか生徒にはわからない。先生が合っていれば合っているというだけで、できた場合もできなかった場合もぼうっとしている。本当は答が合うことよりも、自分で合っていると認めることのほうが大切なのに、それがわかっていない。こんなのが大きくなったら大事故が起るのは当たり前だと思う。(同書p.110「三河島惨事と教育」 原文ママ)

ここには大きく肯いたところである。いい青年にもなって受け身で教師の言うのにただ従うのでは進歩がない。わからない人はいつまでもわからないのだろう。もう60年以上も前の随筆であるが、すでに「計算は機械に任せるが、数学の役目は機械にはできないことをやる」と今のAIの議論を思わせるようなことも書いている。もっともAIの信奉者が言うような「すべてAIに任せればOK。人間の役割は高度な判断やクリエイティブな仕事だけ。あとはすべて無駄なもの。古文漢文歴史は削れ。」のような浅はかで反知性的な態度とは正反対であることを付言しておく。

夏目漱石や芥川龍之介、寺田寅彦など同時代の人にも言及しているところも興味深いが、単に衒学や余興で文学に触れているのでなく、辿ってきた思考の流れをうかがい知ることができるという点できわめて示唆的である。

このように書いているとさぞ深淵で高尚な随筆集かと誤解するかもしれないが、これは社会時評に馴れすぎた私の文体の問題であって、本書『春宵十話』は非常に読みやすく2日で読み終えてしまった。気取ったエッセイというより親しい人との茶飲み話をそのまま文字にしたという感じだ。肩に力が入っておらず、かといって語り口に無駄がなく、テンポが良い。珍しく読んで清々しい気分になれた一冊である。

書評 山下昌也『貧乏大名”やりくり”物語』講談社+α文庫

「喜連川」

この地名が読める人は地元民かよほど関東の地理や戦国武将に詳しい人だろう。

喜連川―現在は栃木県さくら市―江戸時代にこの名を聞いた人はどことなく高貴な感触を持ったことだろう。それもそのはず下野国の喜連川藩の藩主は「御所さま」「公方さま」と呼ばれていたからだ。

御所とは京都御所のように帝のおわす所、大御所のように引退した征夷大将軍とくに徳川幕府初代将軍である神君家康公のことを憚って呼ぶ名称である。公方とはこれまた将軍のことを指す尊称である。

かくも尊く呼ばれる喜連川藩はさぞや大藩なのかと思いきや、石高はわずか五千石。

1石が1000合だから1日3合食べるとすると1石は約1年分の米ということになる。収穫した米をそのまま藩内で消費していたとしたら喜連川藩はたった5000人の人口の町でしかなかったことになる。金銭に換算すると1石=金1両が江戸初期のレートで、ざっくり現在の貨幣に換算すると1両=10万円程度らしいので、5000石は約5億円に相当する。個人事業主なら左うちわで笑いが止まらないだろうが、この予算で市町村を運営するのは非常に厳しい。参考までに2025年の日本国内の人口5000人の町、北海道の上士幌町の年間予算は99億円。十勝毎日新聞

さて江戸幕府の法制度に詳しい方なら首をひねったことだろう。五千石では藩主と言えぬ。大名と名乗るには一万石以上必要で、それ未満は小名というか旗本なのではないか。検地の役人が間違えたか、転封や減封を食らって一万石以下に落とされてしまったのか。

その辺の事情は本書を読んでもらうとして、五千石という貧乏な小藩がいったいどうやって藩政を経済的にやりくりしていたのか、その秘密に迫るものである。

近世とはいえ江戸時代は士農工商の身分制度であったから、武士階級まして大名であれば何かと名目をつけて御用商人から徴発したり、いざとなれば借金を踏み倒すという裏技を使って楽勝だったのではと思うだろう。歴史上最も有名で規模が大きい踏み倒しは幕末の薩摩藩の五百万両だろう。薩摩藩の家老調所広郷は商人を一同に集め、借金500万両を無利子で毎年2万円ずつ250年かけて返すと宣言し、これが飲めないなら腹を切ると脅迫し、商人たちに強制的に承諾させた。もちろんこの図々しい踏み倒し契約(返さないとは言ってないが無利子なら贈与と同じ)は最後まで履行されたわけがなく明治になって薩摩藩も消えてうやむやになってしまった。

しかし、われらが誇り高き喜連川藩はそんな小狡い手段には頼らない。おもてなしの精神を発揮し、大大名からも一目置かれ、領民の暮らしに日々心を砕き、領内の巡察を欠かさない。きわめて珍しいことに喜連川藩領内では江戸時代の約260年間一度も一揆が起きていないのである。それだけ領民から慕われていたのだろうとうかがわれる。

喜連川藩主のやりくりの苦労を知ると、現代の地方自治体がふるさと納税のあれやこれやで財源の確保に心を悩ませているのと通じるものがある。

歴史をすでに終わった遠い過去の話ととらえるのでなく、現代とも通ずる人類普遍の事柄ととらえることで、歴史的建造物やゆかりの土地が活き活きと見えてくる。護美錦と名高いサツキの花、手入れの負担を考えた鼈甲垣も風情あり、十代藩主が領民のために整備した御用堀の水路に今も水が流れていることを実見できるだろう。

本書は文庫本としては200ページ未満と短めだが、これだけの内容を要領よくまとめるには相当な史料の分析とバックグラウンドが必要と思われる。

現代の喜連川はどうなっているのか興味がわいた人は実際に見に行ってみるといい。東京駅から新幹線利用で1時間30分ほど。

さくら市 喜連川散策マップ

https://sakura-navi.net/tourism-speciality/tour-guide-map/kitsuregawa-map/

日本三大美肌の湯といわれる喜連川温泉で疲れを癒やしていってもいいかもしれない。

書評 陳舜臣『秘本三国志』文春文庫

三国志というとフィクションである『三国志演義』の蜀の劉備・関羽・張飛の義兄弟らを主人公に、力による支配を目指す魏の曹操の覇道に対抗して、弱小ながらも仁義を武器に漢室再興に力戦奮闘する王道展開がまず思い浮かぶ。本書はそんな王道展開と異なり、脇道に回り道して、再び本通りの広場に合流してみるような趣がある。地図の端から埋めたり、盤面の角から攻めるようなタイプである。

本書を読む上で、あるいは読んだ後にでも頭の片隅に入れておいてほしいことが3つある。

様々な作者によって語られてきた三国志の物語は「蒼天すでに死す」の農民反乱・宗教反乱の黄巾の乱から始まることが多いが、黄巾の乱の首領張角の太平道が大陸の東で起こったのとほぼ同時に、西にも五斗米道の宗教勢力が起こっていた。五斗米道というと、劉備の益州入りの際に益州牧劉璋や西涼の馬超と一悶着あった五斗米道の教祖張魯という形で登場してくることが多い。飢饉が頻発し、政治が乱れると、新興宗教を核にして反乱が起こるのが歴史の常だった。

次に考えてほしいのは、劉備玄徳が文字通り東奔西走、縦横無尽に中国大陸を駆け巡ったことである。中国東北部の幽州の公孫瓚のもとから徐州の陶謙のもとへ。曹操や呂布と戦いを繰り広げた後、領地を失い、荊州に逃げ、長江を下って呉の孫権と同盟。赤壁の戦いで曹操を破り、領土を広げ、最後は南西の益州を支配し、ついに蜀漢帝国の建国を宣言する。領地を持たない義勇兵から出発して一国の主にまで成り上がった立身出世譚として人気なだけでなく、漢室復興という大義に奉じる忠義者として語られる。184年の挙兵から223年に白帝城で没するまで、二十数度の合戦に明け暮れてきたが、驚くべきことは、大敗し城を失ったことも何度もあるにもかかわらず、再起を果たしただけでなく、踏まれても立ち上がる麦のように以前を上回る勢力を得て天下を三分するほどの国を築き上げた展開はドラマチックである。それだけ仁義・忠節に厚く、人望があったと推測される。

しかし、一方で劉備に攻略された地域の視点から見てみると別の評価もできる。中山靖王劉勝の末裔と怪しげな出自を自称し、おのれを高く売りつけられるタイミングで困窮した実力者に近づき、領土を獲得し、戦で敗北しても潔く自害せず、地の果てまでも逃げ惑い、また別の土地で漢室再興などと世迷言をうたう。同じ劉姓だからと劉表や劉璋に味方するとわざわざ遠方から乗り込み、しまいには主家に取って代わる。特に蜀入りに関してははじめから内応者と呼応しており、いくら美化しても領土的野心はごまかしようもない。こう書くと劉備という人物は何と抜け目のない狡猾なやつだと感じる。

人物評の是非はともかく、ここまで劉備が活躍できたのは歴史の偶然か必然か、その謎を追ってみるのも興味深い。

3つ目は、中国四千年の歴史と一口に言うが、本当に昔からずっと固定した形で伝統が続いていたわけでなく、漢民族以外の文化の影響は常に受けており、特に乱世ではそれは顕著になる。三国志の時代にはまだ仏教は本格的に受容されておらず、太平道や五斗米道も道教系の教団であった。仏教の本格導入は三国志のさらに後の五胡十六国時代であり、隋唐時代になって国家の保護を受けるまでに至る。もちろん、他文化が中国に流入しただけでなく、他民族が漢民族の文化の影響を受け、ほぼ漢民族と同化(漢化)してしまった例もある。五胡十六国時代の南匈奴の劉淵は遊牧民出身であるが、漢の高祖劉邦の末裔と称して漢王を名乗った。満州族の清王朝は約300年中国を支配したが、最後の皇帝溥儀は漢語は話せても満州語はほとんど話せなかったという。

陳舜臣の『秘本三国志』は全6巻ある。単純に劉備賛美の『演義』よりは史実よりであるが、歴史小説であるから創作の要素もある。戦闘描写は控えめで、むしろ戦いに至るまでの工作活動や同盟関係に重点を置いている。淡々とした記述のせいか、6巻という長さをあまり感じさせなかった。本書は三国志の流れをひと通りおさらいしつつ新たな視点を提供する歴史小説である。

書評『かなり気になる日本語』SB新書 厚切りジェイソン著

アメリカ生まれの芸人厚切りジェイソンの日本語についての50の疑問を取り上げている。

おなじみの漢字の読み方や慣用句の謎だけでなく、あいづちなどの非言語(ノンバーバル)コミュニケーションなど、日本語非ネイティブならではの疑問もある。

この本で初めて知る情報もあり、疑問に思わなければ調べなかったようなことまで調べている。

たとえば、緑色なのに「青信号」と呼ぶ経緯について、単に言葉だけでなく、実際に信号の色が変更されたことがあったらしい。英語では青信号はgreen lightと書くので、グリーンと聞いて思い浮かべる通りの緑色の光をしている。

しかし、日本の青信号は、色弱の人の視認性を考慮して、わざと青寄りの緑色の光に変えたという。そのため、昔の日本語では「緑も含めて青と呼んでいた」という説明では不十分で、実際に青っぽい色をしているのから青信号なのだ。

ほかにも色々興味深い事柄について書いているので、値段以上に価値がある本だ。

書評『へうげもの』第1巻 モーニングKC 講談社

織田信長の家臣で茶人として有名な古田織部(左介)が主人公の漫画。

陶芸に詳しい人なら、織部焼の祖・古田織部を知っているかもしれない。

「君はもののために死ねるか」という題の通り、この漫画に登場する武将たちは数奇者だらけである。

謀反を起こして信貴山城に立てこもった松永久秀は、天下の名器平蜘蛛茶釜を渡せば助命してやるとの織田信長の和睦案を断り、平蜘蛛茶釜に爆薬を詰め、城を枕に自爆して果てた。

謀反人の代名詞とされる松永弾正久秀の茶器への愛着も凄いが、戦国の世で城や命と引き換えに茶器を手に入れようとする織田信長の執着も凄い。

作中で久秀が信長を自分と似ていると評する場面があるが、二人の野心家が惹かれ合うとしているのは坂口安吾の作品(未完)にもある。

坂口安吾『織田信長』 青空文庫

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/43138_23708.html

ちなみに、へうげもの(歴史的仮名遣い)の読みは、「ひょうげもの」。

漢字で書くと「剽げ者」。剽軽(ひょうきん)の剽。

意味は、おどける、ふざける、ひょうきんな言動をする。

名古屋弁では、たわけとか、うつけということになろうか。

すでに死語になってるかと思いきや、方言として使っている地域もあるらしい。

ひょうげ祭り 香川県

https://www.pref.kagawa.lg.jp/tochikai/midori_info/festival/hyouge.html

書評 芥川龍之介『蜘蛛の糸・杜子春』新潮文庫

芥川龍之介の年少文学10作品が収められている。

  • 蜘蛛の糸
  • 犬と笛
  • 蜜柑
  • 魔術
  • 杜子春
  • アグニの神
  • トロッコ
  • 仙人
  • 猿蟹合戦

いずれの作品も短いので10分くらいのスキマ時間で読めると思う。

昔の古典やおとぎ話を題材としているが、あえて情報を少なめにすることで、主観的世界に没入しやすくしている。夏目漱石から「要領を得た」と称賛された芥川龍之介の筆力が感じられる。

「蜘蛛の糸」の話を知ったのは私が小学生の時である。といっても学校ではなく、熱で小学校を欠席している時に、たまたまNHK教育でやっていた人形劇で見た。

誰もいない静かな家で一人見ていたが、テレビで見たのはその一回きりにもかかわらず、今でも光景を思い出すことができる。それくらい出来のいい人形劇だった。

今はNHK for schoolのサイトでインターネット上から見ることができる。登録不要。視聴は無料である。

くもの糸 | こどもにんぎょうげきセレクション NHK for school

https://www2.nhk.or.jp/school/watch/bangumi/?das_id=D0005260039_00000

書評 『ことばの危機 大学入試改革・教育政策を問う』集英社新書

2019年10月19日東京大学ホームカミングデイ文学部企画の同名のシンポジウムを編集した新書を読んだ。

猫も杓子もAIをもてはやす風潮を背景に、センター試験が共通テストに変わり、「実用的でない」とされた国語などの文系科目が大幅に改変されようとしている中、危機感を覚えた東大文学部の教授5名が講演を主宰した。

第一章の英米文学の阿部公彦教授が取り上げているように、「読解力」と「注意力」は別物だと思う。まず入試改革の審議会において、「読解力が大事」とはいうが、肝心の「読解力とは何か」が定義されておらず、ただ無駄に長いだけの問題文から必要な情報だけをピックアップして、指定の方式で解答することを競うというのは、「注意力」の問題であろう。

「グローバル化に対応できるように、大学入試をもっと実用的な内容に」のかけ声のもと、実際に実施された共通テストの初年度の数学IAショック(と日本史Bショック)の無様な結果を見れば、そもそも作問の発想や学力の判定方法が根本的に間違ってるとしかいいようがないだろう。だいたい角度や長さを求めるのに、いちいち太郎と花子が会話するくだりは必要なのか、複数人の会話から情報を抜き出すのが多様な思想を理解するということとは全く別だ。問題文の中に雑音が多すぎる。もっと言うと、ゴミ山の中から貴金属の欠片を見つけるような試験は学力を問うものではない。数学の問題文に余計な情報は不要。「nは自然数、mは3の倍数」などと定義したら、その条件を「布石」のように利用して解答を求めていくのが数学的思考力を試すものである。「tan1°は有理数か。」の伝説の一行問題のように、初見は面食らうが、あとから見ると無駄な情報が一つもないというのが深く考えさせる問題の真髄であろう。

実際、無意味な会話文のせいで、聞かれる知識は浅い問題が多い。日本史などは、まるで来日2日目の外国人観光客にWikipedia片手に現地の日本人相手に観光案内させてるようなものだ。要するに回りくどいわりに内容が薄い。

「桶狭間の合戦や長篠の合戦に勝利し、天下統一を目前に本能寺で討たれた尾張生まれの戦国大名は誰か」と聞けば、日本在住者の十中八九は「織田信長」と答えるであろう。しかし、「宣教師ルイス・フロイスの『日本史』に日本の国王と書かれている大名は誰か」などと聞かれれば、ほとんどがピンとこないであろう。答えられたとしても所詮トリビアを競うクイズでしかない。そうではなく、「次の中で織田信長が行った事業はどれか」とか「織田信長が実施した主な政策を3つ答えよ」と聞いた方がよほど歴史に関して深い理解を問うている。

もう一つ、大学入試改革の発想の間違いは、作問者が文脈の多様性というものを理解していない、というより理解できていない疑いがあることだ。劣化したAIに機械翻訳されたような悪文が問題文に挙げられて、「今回のテストは平均点が低かった。やはり今の学生は読解力が低い。」と嘆いて、またまたマッチポンプで教育改革のネタとし、特定企業への利権誘導はなはだしい。本来、共通一次から続くセンター試験は基礎学力を問うものでおおむね平均点6割程度になるよう作問されてきたものだ。それが一気に20点も下げて、平均点4割というのは、もはや受験生の質の問題ではなく、明らかに作問に不備がある。考えなしに軽口で言った失言を叩かれて「誤解を招いたなら謝罪する」という政治家と同じくらい無責任。「誤解を招いたなら」という物言いは、まるで悪いのは自分ではなく、誤解した受け手だというニュアンスがある。だが、過半数の受け手が「誤解」したなら、それは受け手の問題ではなく、そんな誤解しやすい表現を使った発信者の方に問題がある。

そして意外にも、「実用的でない」とやり玉に挙げられた国語の方は、センター試験から共通テストになっても、大幅に変更が加えられなかった。これはおそらく文脈の多様性や多義語について作問者の造詣が浅く、真の意味で実用的な新聞や契約書などを使うと、一定以上の学力のある層は容易に正解してしまうだろうし、社会その他の予備知識がある方が有利になるので、結局、従来とほぼ同じような問題となったと考えられる。もし実用性重視かつ機械翻訳的に単語だけつないで「論理的」だとする発想で国語の問題を作るなら、それは日本語ネイティブ向けの「国語」ではなく、日本語非ネイティブの外国人向けの「日本語」となるだろう。そのうえで、難易度を上げるためには、いたずらに長文にするか、接続詞を不正確に使う、文どうしのつながりをわかりにくくする、要するに悪文にするということになるのだろう。

こうして国語の問題文は悪文ばかりという時代が到来する。テストには、とてもお手本にはできない悪文ばかりが並ぶ。極論すると、テストで測定される能力とは、悪文に対する「読解力」、すなわち意味の取りづらい文章の意味を読み取り、設問の趣旨に最も近い「正解」の選択肢を選ぶ能力ということになる。その難関をくぐり抜けてきた学生たちの書く文章は、これまたひどいものになることが容易に想像される。大学入学後に教授に指摘されても、何が悪いのかとキョトンとする様が目に浮かぶ。だって、お手本がそうなのだから仕方がない。

もっとも、近年の改革も悪いところばかりではない。国語の教科書を見てみると、文学作品ばかりでなく、日常的な文章が題材となったり、書き方のガイドが取り上げられている。広告キャッチコピーの付け方や、事実と意見の区別、三角ロジックなどの論理構成など、すべて身につければとても良い文章力が身につくものとなっている。それにもかかわらず、共通テストの方向性は、そうした実用的な文章つまり「分かりやすい文章を書く」能力とは、著しく乖離している。もし実用的な文章力をみたいのであれば、わかりづらい問題文をわかりやすく書きかえる、つまり受験者の方が問題文を添削するというやり方しかないように思われる。長文や小論文を、制限字数で要約させる課題も有効だろう。

やはり国語の授業と試験は別物と考えたほうがよさそうだ。授業では名文を取り上げるが、解き方は教えず、テストは悪文ばかりで、正解を選ぶやり方は塾や予備校で有料で教わるが、きちんと伝わる文章は一行も書けず、英語はペラペラだが難しい日本語はわからないというようなバランスの悪い人間を量産していくことになるだろう。

だいたい広い意味での「日本語」である古文や漢文すら、まともに読解できないような学力層が大学に入ったところで、グローバルで最先端の学問を身につけられるとは到底思えない。ましてやそこから創造的な営みが生まれることはあり得ないだろう。幕末・明治の文士たちは異国・異文明との衝突に危機感を覚えながらも、異なる文明圏の思想の理解に努め、将来に役に立つ普遍的な科学知識を、ありあわせの漢語の知識から翻訳語を創造し、自分たちのものにしようと努力した。小手先の技術で終わらず、自然科学の原理・法則や深い人間理解まで目指していた。それがどれだけ実現したかはともかく、意図した枠組みは正当なものだったはずである。

現代の一握りのグローバル企業が作り出した秩序を疑問に思わず、「世界に置いていかれないように」「トレンドに乗っかりたい」などという意識では、夢幻泡影、月を追いかけ雲を掴むかのごとく、空しく終わるであろう。「日本に技術あって科学なし」、と言われる所以である。そのうち技術もあやしくなりそうだが。二番煎じでプログラミング教育だと力を入れても、技術を使うというよりツールに使われるだけであろう。肝心の他者理解が浅ければ、ユーザーのストレスを増やすゴミアプリを量産してしまう。政府主導で進められた新型コロナ接触確認アプリCOCOAは何の役にも立たなかった。

学力は基本原則や法則の応用の積み重ねによって身につけられるものであって、流行を追っかけているだけではどうあがいても最先端には行けないし身につくものも身につかない。結局、基礎学力こそが重要というありきたりな結論に落ち着きそうである。