百人一首 百番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり

順徳院

【ひらがな表記・現代かなづかい】

ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なおあまりある むかしなりけり

【現代語訳】

宮中の、荒れ果てた古い御殿の軒端には忍ぶ草が生えているが、その忍ぶ草を見るにつけても、皇室の衰えが情けなく思われて、いくら偲んでも、偲び尽くせないほど慕わしいものは、昔のよく治まっていた御代であることよ。

【文法・修辞】

●「ももしきや」で初句切れ。

●「(シダ植物の)忍ぶ(草)」と「(昔を)偲ぶ」の掛詞。軒端に忍ぶ草が生えているのは建物が荒廃していることの象徴である。

【作者・背景】

●順徳院(1197~1242)

後鳥羽天皇の第三皇子。第84代天皇。25歳で譲位し、上皇に。後鳥羽上皇とともに鎌倉幕府に対し承久の乱を起こしたが敗れ、順徳院は佐渡ヶ島に流罪となり、同地で死去。歌論書に『八雲御妙』、有職故実書の『禁秘抄』、家集に『順徳院御集』がある。

●『続後撰集』雑下・1205に収載。

百人一首 九十六番歌

【原文】

花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり

入道前太政大臣

【現代かなづかい】

はなさそう あらしのにわの ゆきならで ふりゆくものは わがみなりけり

百人一首 九十五番歌

【原文】

おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染の袖

前大僧正慈円

【現代かなづかい】

おおけなく うきよのたみに おおうかな わがたつそまに すみぞめのそで

百人一首 九十二番歌

【原文】

わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわく間もなし

二条院讃岐

【現代かなづかい】

わがそでは しおひにみえぬ おきのいしの ひとこそしらね かわくまもなし

百人一首 九十一番歌

【原文】

きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む

後京極摂政前太政大臣

【現代かなづかい】

きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねん