百人一首 十番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

蝉丸

【ひらがな表記・現代かなづかい】

これやこの ゆくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき

【現代語訳】

百人一首 九番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に

小野小町

【ひらがな表記・現代かなづかい】

はなのいろは うつりにけりな いたずらに わがみよにふる ながめせしまに

【現代語訳】

桜の花の色は、すっかりあせてしまったなあ。むなしく長雨の降り続いた間に。振り返ってわが身の上を思えば、恋の思いに明け暮れて、むなしくもの思いにふけっている間に、美しい容色も衰えてしまったことだ。

百人一首 八番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人は言ふなり

喜撰法師

【ひらがな表記・現代かなづかい】

わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よをうじやまと ひとはゆうなり

【現代語訳】

私の仮住まいは都の東南、宇治山にあって、このように心静かに澄んだ心境で暮らしている。それなのに世間の人は、この世の中をつらいといってのがれて住む宇治山と言っているそうだ。

SINCA

百人一首 七番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

阿倍仲麻呂

【ひらがな表記・現代かなづかい】

あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも

【現代語訳】

大空をはるかに見渡すと、(この異国の空に)今しも月が美しくのぼっている。ああこの月は、故郷の春日にある三笠の山に出た、あの懐かしい月なのだなあ。

【作者・背景】

●阿部仲麻呂(698~770)

716(霊亀2)年、吉備真備・玄昉らとともに第9回遣唐使として派遣された。留学生でありながら科挙に合格するほどの秀才で、唐の玄宗皇帝に気に入られ、「晁衡」と中国名を名乗り唐の朝廷に仕える。李白・王維らの詩人とも交流があった。752(天平11)年第12回遣唐使の船に乗船して帰国しようとしたが安南(ベトナム)で遭難し、日本に帰らず唐で一生を終えた。

「天の原」の歌は唐から日本に帰国する際に、唐の友人らが開いた送別会で詠んだものである。

●三笠山

奈良市の東にある春日山の支峰。標高297m。御笠山または御蓋山とも書き、若草山との混同を避けるため「おんふたやま(御蓋山)」と呼ぶこともある。笠を伏せたような左右対称な三角形の形をしているため、こう呼ばれた。麓に世界遺産の春日大社がある。

春日大社のアクセスは、JRまたは近鉄「奈良駅」から、奈良交通バス約15分「春日大社本殿」下車、または奈良交通バス(市内循環外回り)約10分「春日大社表参道」下車徒歩約10分 

https://www.kintetsu.co.jp/nara/report_powerspot/kasugataisha.html

百人一首 六番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける

中納言家持

【ひらがな表記・現代かなづかい】

かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける

【現代語訳】

七夕の夜、かささぎが翼を広げて天の川に掛け渡したという橋を思わせるこの宮中の階段に降りた霜の、白くさえた色を見ると、夜もかなり更けたことだなあ。

【文法・修辞】

「渡せる」は「渡す(四段活用動詞)」の已然形+存続の助動詞「り」の連体形、渡しているの意味。

係助詞「ぞ」と「ふけにける」で係り結び。「更(ふ)ける」の連用形+完了の助動詞「ぬ」+過去の助動詞「けり」の連体形。「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で係り結びする。

【解釈論争】

●秋(七夕)か冬か

かささぎは七夕に関係する鳥なので、七夕(古典では秋の季語)の時期と解釈できる。一方、霜は冬の季節のものである。橋におりた霜ではなく、夜空の星を霜に見立てれば、天の川にかがやく星ということで七夕をうたったものということになる。

国学者賀茂真淵の説では、「かささぎの橋」は「宮中の御橋」のことを指し、七夕の行事で通った橋に、霜が降りていて冬を実感しているということになる。

【作者・背景】

●新古今集巻6

●大伴家持(718?~785)

三十六歌仙の一人。大納言大伴旅人の子。万葉集に最も歌の多い歌人で、440余首が載る。しかし、この歌は万葉集には見えず、詠み人知らずの歌を大伴家持に仮託したものと思われる。

百人一首 五番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき

猿丸大夫

【ひらがな表記・現代かなづかい】

おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき

【現代語訳】

奥深い山の中で、散り積もったもみじを踏み分けて、妻を慕って鳴く鹿の声を聞くときこそ。ひとしお秋は悲しい思いがすることだ。

【文法・修辞】

係り結び 係助詞「ぞ」と「悲しき」で係り結び。形容詞「悲し」の連体形。

【作者・背景】

●『新古今集』巻4

●猿丸大夫 生没年不詳

三十六歌仙の一人。元明天皇(在位707~715)の頃とも、元慶年間(877~884)の人とも言われる。古今集真名序に「大友黒主の歌、古の猿丸太夫の次也」とあるので、少なくとも大伴黒主より前の人物であることは確実。猿丸太夫は遊芸を業として巡遊する身分の低い芸能者と推測されている。弓削道鏡の変名または聖徳太子の孫の弓削王(ゆげのおおきみ)との説もある。『古今集』には詠み人知らずと書かれているが、『猿丸大夫集』にも収載されている。

●もみぢ(黄葉・紅葉)

古今和歌集の頃(905)は、黄葉と書き、萩の黄色の葉を指していた。新古今和歌集の頃(1210)には、楓の紅葉を指すようになった。「もみじに鹿」の取り合わせは、この歌から始まった。

百人一首 四番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

山辺赤人

【ひらがな表記・現代かなづかい】

たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ

【現代語訳】

田子の浦の海岸に出て、はるかなかなたを見渡すと、白一色の富士の高い峰に、今も行きがしきりに降っていることだ。

【文法・修辞】

●「白妙の」白いものにかかる枕詞。ここでは雪。

●つつ止め 接続助詞「つつ」で終わることで、「雪が降り続いている」ことを表す。

●万葉集の原歌は「田子の浦ゆ うち出てみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」

「ゆ」は上代語で「から」の意味。「田子の浦から出てみると 真白に 富士の高い峰に 雪が降っている」と、「田子の浦から」見晴らしの良い場所に出て富士山を見たというのが原歌。新古今集では「田子の浦で」見たことになる。

【作者・背景】

●『新古今集』巻6

●山辺赤人(山部赤人) 生没年不詳

三十六歌仙の一人。奈良時代初期の下級役人。柿本人麻呂とともに「歌聖」と謳われた。

●田子の浦

駿河湾西沿岸。現在の静岡県静岡市清水区興津町の東北から由比・蒲原あたりの海岸。田子の浦から出て富士山が見えたとすると、薩埵峠の辺りと推測されている。世界文化遺産に認定された三保の松原は薩埵峠よりも16km南の地点。

百人一首 二番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

持統天皇

【ひらがな表記・現代仮名遣い】

はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすちょう あまのかぐやま

【現代語訳】

春が過ぎて、いつのまにか夏が来たらしい。夏に白い衣を干す天香久山のほとりに、あのように真っ白い衣が点々と干してあるよ。

【文法・修辞】

●「春過ぎて 夏来にけらし」で二句切れ。

●「けらし」は、「けるらし」の「る」が脱落したもの。過去の助動詞「けり」の連体形と推定の助動詞「らし」の終止形。

●「白妙の」は衣や雪など白いものに係る枕詞。

●「てふ」は「といふ」が縮まった形。伝聞。

【作者・背景】

●持統天皇(645~702)

女帝。第42代天皇。天智天皇の第二皇女で、天武天皇の皇后となり、天武天皇の死後、持統天皇として即位。藤原京に遷都した。政治面では藤原不比等らに命じて大宝律令を編纂させるなどした。『万葉集』に持統天皇の歌は長歌2首と短歌4首が収められている。長歌2首と短歌2首は天武天皇の死の悲しみを歌った作品である。

●『新古今集』夏・175収録。

『万葉集』巻一の「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」が原歌。素朴で直接的な表現の『万葉集』に比べ、『新古今集』では、「夏来にけらし」「衣ほすてふ」と伝聞表現でより観念的になっている。『新古今集』の成立した1200年頃には、7・8世紀の『万葉集』の夏に衣を干す習俗は廃れていたのか、それとも新古今集の編者の好みで伝聞表現を選択したかもしれない。

●天の香具山

標高152メートル。大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)のひとつ。奈良県橿原市にある。

旺文社英検ネットドリル

百人一首 一番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

秋の田の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ

天智天皇

【ひらがな表記・現代仮名遣い】

あきのたの かりおのいおの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ

【現代語訳】

実りの秋の取り入れに当たって、刈り取った稲穂を荒らされないように番をする、田のほとりに作った仮小屋に泊まっていると、屋根をふいてある苫の目が荒いので、私の袖は、すき間からもれる夜露に、しきりにぬれることだよ。

【文法・修辞】

●「かりほ」は「刈穂」と「仮庵」の掛詞。「仮庵(かりいほ)」の「い」を略して「かりほ」。「かりほの庵」は「いほ」で語調を整える重ね言葉。仮庵は田を荒らす害獣を防ぐために仮に作った小屋。

●苫をあらみ「~を+形容詞語幹+接尾辞み」は、原因・理由を表す。「~が~なので」と訳す。苫は菅(すげ)や萱(かや)の長い草で編んで屋根をふいたもの。苫で編んだ屋根のすき間が荒いので、夜露に濡れるということ。

●衣手=袖のこと。袖が濡れる=泣き悲しむことを連想させる表現。

●つつ止め。「つつ」は動作の反復・継続を表す接続助詞。「つつ」で止めるのを「つつ止め」といい、余韻・余情を表す。

【作者・背景】

●天智天皇(628~671)

第三十八代天皇。舒明天皇の第一皇子。645年、皇太子(中大兄皇子)の時、中臣鎌足と協力して、蘇我入鹿を滅ぼし、大化の改新を行った。即位後、近江の大津宮に遷都した。これを縁として近江神宮では毎年かるた選手権大会が開かれている。

●『後撰集』秋中・302に収録。

『万葉集』巻十に「秋田刈る仮庵を作りわが居れば衣手寒く露ぞおきける」と詠み人知らずの歌があり、元は無名の農民の労働歌であったものが、平安・鎌倉時代の好みにあった言い回しに変えられ、さらに天智天皇の作と誤り伝えられた説が有力である。

【確認問題】

次の(   )に入る選択肢はどれか。

「かりほ」は「刈穂」と「仮庵」の(    )。

1.枕詞   2.掛詞  3.序詞