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問1 B
A 1804年長崎にロシアのレザノフが来航し通商を要求。幕府に拒否され、帰還途中に択捉島・樺太島を攻撃した。
C 水戸藩の大津浜事件。1806年の文化の撫恤令(薪水給与令)から約20年間は、開国は拒否するが、外国船には水や食料を与えて帰す方針だったが、同じ1824年に起きたイギリス船が牛を奪った宝島事件などにより、攘夷論が台頭。翌年、異国船打払令が出される。
D 国後島で捕縛されたゴローニンは1813年まで抑留。高田屋嘉兵衛と捕虜交換により釈放。
問2 A
B 1824年の宝島事件。
C 1828年のシーボルト事件。ドイツ人医師・博物学者のシーボルトは長崎の鳴滝塾で高野長英・小関三英らに蘭学を教えていた。幕府天文方高橋景保から日本地図を贈られるが、出国時に役人に見つかり、国外追放処分となる。
D そんな事件はない。
問3 C
A 前野良沢・杉田玄白は『解体新書』を作る。杉田玄白がその時の苦労を語ったのが『蘭学事始』。弟子の大槻玄沢は蘭学の入門書『蘭学階梯』を著し、芝蘭堂を開く。
B 宇田川玄随の著作は『西説内科撰要』
C ハルマの蘭仏辞書を元に1796年に作られた最初の蘭日辞書『ハルマ和解』。木版活字で6万語収録。
D 宇田川榕菴がオランダ語の化学書を翻訳した『舎密開宗』
問4 D
A 1856年アロー戦争(第二次アヘン戦争)で結んだ条約は天津条約と北京条約。
B 1871年日清修好条規に関する説明である。日本初の対等条約。
C 1915年第一次大戦中の21か条の要求に関する説明である。
D アヘン戦争直後の南京条約は国交は対等とされたが、すぐ後に結んだ追加条約によって不平等条約となった。五港通商章程で治外法権、虎門寨追加条約で最恵国待遇を認めさせられた。アメリカとは望厦条約、フランスと黄埔条約を結ばされた。いずれも最恵国待遇により不平等な内容である。アヘン戦争の影響で幕府は異国船打払令を撤回し、再び薪水給与令を出した。
問5 D
親長州で急進的な攘夷派の公家三条実美が8月18日の政変により京都から追放されたのに対して、長州藩が巻き返しを図ったが、公武合体派の薩摩藩・会津藩らによって返り討ちにされたのが禁門の変である。この騒動で京都市中は3万戸余りが焼け、長州藩は「朝敵」となり、1864年第一次長州征討軍が組織された。
問6 A 明治時代の北海道開拓使官有物払い下げ事件の説明である。
問7 C 護憲三派の活躍は第二次護憲運動。
問8 B
尾崎行雄は普通選挙の実現には消極的だった。加藤高明(憲政会)、高橋是清(立憲政友会)、犬養毅(革新倶楽部)の護憲三派が政党内閣・普通選挙・貴族院改革・行政整理を要求した。
問9 C 補助艦保有比率を定めたのはロンドン条約。
問10 D
潜水艦の建造禁止は定めていない。主力艦についてはワシントン条約の内容を5年間延長するものだった。緊縮財政によって予算を削減された海軍関係者は統帥権干犯問題を主張し、浜口内閣を批判した。この中には当時野党の立憲政友会総裁の犬養毅と鳩山一郎も加わっていた。条約は批准されたが、浜口雄幸首相は東京駅で右翼青年によって狙撃され、重傷を負い、辞職した。