【原文・歴史的仮名遣い】
田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ
山辺赤人
【ひらがな表記・現代かなづかい】
たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ
【現代語訳】
田子の浦の海岸に出て、はるかなかなたを見渡すと、白一色の富士の高い峰に、今も行きがしきりに降っていることだ。
【文法・修辞】
●「白妙の」白いものにかかる枕詞。ここでは雪。
●つつ止め 接続助詞「つつ」で終わることで、「雪が降り続いている」ことを表す。
●万葉集の原歌は「田子の浦ゆ うち出てみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」
「ゆ」は上代語で「から」の意味。「田子の浦から出てみると 真白に 富士の高い峰に 雪が降っている」と、「田子の浦から」見晴らしの良い場所に出て富士山を見たというのが原歌。新古今集では「田子の浦で」見たことになる。
【作者・背景】
●『新古今集』巻6
●山辺赤人(山部赤人) 生没年不詳
三十六歌仙の一人。奈良時代初期の下級役人。柿本人麻呂とともに「歌聖」と謳われた。
●田子の浦
駿河湾西沿岸。現在の静岡県静岡市清水区興津町の東北から由比・蒲原あたりの海岸。田子の浦から出て富士山が見えたとすると、薩埵峠の辺りと推測されている。世界文化遺産に認定された三保の松原は薩埵峠よりも16km南の地点。