次の( )に入る語句を選べ。
1840年、現在の埼玉県深谷市で豪農の家に生まれた( 1 )は、幕末の尊王攘夷にかかわり、実行はしなかったが横浜で外国人を襲撃する計画を立てていた。 1867年、15代将軍( 2 )の弟昭武に随行してフランスの万国博使節団に加わった。欧州を歴訪して、産業施設を見学し、のちの近代産業の礎となる知識を得た。
明治時代に民部省・大蔵省に出仕し、( 3 )の制定に携わった。しかし、大蔵大輔( 4 )とともに健全財政を主張して受け入れられなかったことから、( 5 )が着手された1873年に大蔵省を辞任した。
民間に下野した後、1882年に( 6 )を設立し、( 7 )を動力とする機械式工業が軌道に乗ると、明治の会社設立ブームの一翼を担った。 ( 1 )は数多くの会社の設立や経営の支援にあたったため、( 8 )と呼ばれたが、企業の創設に関与したのは必ずしも財を築くためではなかったと言われている。そのことは、( 1 )が組織した企業などが三井・三菱・住友・安田のような( 9 )へと発展しなかったことからも知られる。 1916年、( 1 )はすべての役職を退任し、以後は主に社会公共事業に関わった。 また、1921年に開催された( 10 )の際には渡米するなど、国際親善にも尽くした。

