【原文・歴史的仮名遣い】
奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき
猿丸大夫
【ひらがな表記・現代かなづかい】
おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき
【現代語訳】
奥深い山の中で、散り積もったもみじを踏み分けて、妻を慕って鳴く鹿の声を聞くときこそ。ひとしお秋は悲しい思いがすることだ。
【文法・修辞】
係り結び 係助詞「ぞ」と「悲しき」で係り結び。形容詞「悲し」の連体形。
【作者・背景】
●『新古今集』巻4
●猿丸大夫 生没年不詳
三十六歌仙の一人。元明天皇(在位707~715)の頃とも、元慶年間(877~884)の人とも言われる。古今集真名序に「大友黒主の歌、古の猿丸太夫の次也」とあるので、少なくとも大伴黒主より前の人物であることは確実。猿丸太夫は遊芸を業として巡遊する身分の低い芸能者と推測されている。弓削道鏡の変名または聖徳太子の孫の弓削王(ゆげのおおきみ)との説もある。『古今集』には詠み人知らずと書かれているが、『猿丸大夫集』にも収載されている。
●もみぢ(黄葉・紅葉)
古今和歌集の頃(905)は、黄葉と書き、萩の黄色の葉を指していた。新古今和歌集の頃(1210)には、楓の紅葉を指すようになった。「もみじに鹿」の取り合わせは、この歌から始まった。
