百人一首 十四番歌

【原文】

陸奥の しのぶもぢずり たれゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに

河原左大臣

【現代かなづかい】

みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに

百人一首 十三番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる

陽成院

【ひらがな表記・現代かなづかい】

つくばねの みねよりおつる みなのがわ こいぞつもりて ふちとなりぬる

百人一首 十二番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ

僧正遍昭

【ひらがな表記・現代かなづかい】

あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ おとめのすがた しばしとどめん

HiNative Trek

百人一首 十一番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ あまの釣り舟

参議篁

【ひらがな表記・現代かなづかい】

わたのはら やひしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね

百人一首 十番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

蝉丸

【ひらがな表記・現代かなづかい】

これやこの ゆくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき

【現代語訳】

百人一首 九番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に

小野小町

【ひらがな表記・現代かなづかい】

はなのいろは うつりにけりな いたずらに わがみよにふる ながめせしまに

【現代語訳】

桜の花の色は、すっかりあせてしまったなあ。むなしく長雨の降り続いた間に。振り返ってわが身の上を思えば、恋の思いに明け暮れて、むなしくもの思いにふけっている間に、美しい容色も衰えてしまったことだ。

百人一首 八番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人は言ふなり

喜撰法師

【ひらがな表記・現代かなづかい】

わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よをうじやまと ひとはゆうなり

【現代語訳】

私の仮住まいは都の東南、宇治山にあって、このように心静かに澄んだ心境で暮らしている。それなのに世間の人は、この世の中をつらいといってのがれて住む宇治山と言っているそうだ。

SINCA

百人一首 七番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

阿倍仲麻呂

【ひらがな表記・現代かなづかい】

あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも

【現代語訳】

大空をはるかに見渡すと、(この異国の空に)今しも月が美しくのぼっている。ああこの月は、故郷の春日にある三笠の山に出た、あの懐かしい月なのだなあ。

【作者・背景】

●阿部仲麻呂(698~770)

716(霊亀2)年、吉備真備・玄昉らとともに第9回遣唐使として派遣された。留学生でありながら科挙に合格するほどの秀才で、唐の玄宗皇帝に気に入られ、「晁衡」と中国名を名乗り唐の朝廷に仕える。李白・王維らの詩人とも交流があった。752(天平11)年第12回遣唐使の船に乗船して帰国しようとしたが安南(ベトナム)で遭難し、日本に帰らず唐で一生を終えた。

「天の原」の歌は唐から日本に帰国する際に、唐の友人らが開いた送別会で詠んだものである。

●三笠山

奈良市の東にある春日山の支峰。標高297m。御笠山または御蓋山とも書き、若草山との混同を避けるため「おんふたやま(御蓋山)」と呼ぶこともある。笠を伏せたような左右対称な三角形の形をしているため、こう呼ばれた。麓に世界遺産の春日大社がある。

春日大社のアクセスは、JRまたは近鉄「奈良駅」から、奈良交通バス約15分「春日大社本殿」下車、または奈良交通バス(市内循環外回り)約10分「春日大社表参道」下車徒歩約10分 

https://www.kintetsu.co.jp/nara/report_powerspot/kasugataisha.html

百人一首 六番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける

中納言家持

【ひらがな表記・現代かなづかい】

かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける

【現代語訳】

七夕の夜、かささぎが翼を広げて天の川に掛け渡したという橋を思わせるこの宮中の階段に降りた霜の、白くさえた色を見ると、夜もかなり更けたことだなあ。

【文法・修辞】

「渡せる」は「渡す(四段活用動詞)」の已然形+存続の助動詞「り」の連体形、渡しているの意味。

係助詞「ぞ」と「ふけにける」で係り結び。「更(ふ)ける」の連用形+完了の助動詞「ぬ」+過去の助動詞「けり」の連体形。「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で係り結びする。

【解釈論争】

●秋(七夕)か冬か

かささぎは七夕に関係する鳥なので、七夕(古典では秋の季語)の時期と解釈できる。一方、霜は冬の季節のものである。橋におりた霜ではなく、夜空の星を霜に見立てれば、天の川にかがやく星ということで七夕をうたったものということになる。

国学者賀茂真淵の説では、「かささぎの橋」は「宮中の御橋」のことを指し、七夕の行事で通った橋に、霜が降りていて冬を実感しているということになる。

【作者・背景】

●新古今集巻6

●大伴家持(718?~785)

三十六歌仙の一人。大納言大伴旅人の子。万葉集に最も歌の多い歌人で、440余首が載る。しかし、この歌は万葉集には見えず、詠み人知らずの歌を大伴家持に仮託したものと思われる。

百人一首 五番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき

猿丸大夫

【ひらがな表記・現代かなづかい】

おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき

【現代語訳】

奥深い山の中で、散り積もったもみじを踏み分けて、妻を慕って鳴く鹿の声を聞くときこそ。ひとしお秋は悲しい思いがすることだ。

【文法・修辞】

係り結び 係助詞「ぞ」と「悲しき」で係り結び。形容詞「悲し」の連体形。

【作者・背景】

●『新古今集』巻4

●猿丸大夫 生没年不詳

三十六歌仙の一人。元明天皇(在位707~715)の頃とも、元慶年間(877~884)の人とも言われる。古今集真名序に「大友黒主の歌、古の猿丸太夫の次也」とあるので、少なくとも大伴黒主より前の人物であることは確実。猿丸太夫は遊芸を業として巡遊する身分の低い芸能者と推測されている。弓削道鏡の変名または聖徳太子の孫の弓削王(ゆげのおおきみ)との説もある。『古今集』には詠み人知らずと書かれているが、『猿丸大夫集』にも収載されている。

●もみぢ(黄葉・紅葉)

古今和歌集の頃(905)は、黄葉と書き、萩の黄色の葉を指していた。新古今和歌集の頃(1210)には、楓の紅葉を指すようになった。「もみじに鹿」の取り合わせは、この歌から始まった。