百人一首 七番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

阿倍仲麻呂

【ひらがな表記・現代かなづかい】

あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも

【現代語訳】

大空をはるかに見渡すと、(この異国の空に)今しも月が美しくのぼっている。ああこの月は、故郷の春日にある三笠の山に出た、あの懐かしい月なのだなあ。

百人一首 六番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける

中納言家持

【ひらがな表記・現代かなづかい】

かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける

【現代語訳】

七夕の夜、かささぎが翼を広げて天の川に掛け渡したという橋を思わせるこの宮中の階段に降りた霜の、白くさえた色を見ると、夜もかなり更けたことだなあ。

【文法・修辞】

係助詞「ぞ」と「ふけにける」で係り結び。「更(ふ)ける」の連用形+完了の助動詞「ぬ」+過去の助動詞「けり」の連体形。「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で係り結びする。

百人一首 五番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき

猿丸大夫

【ひらがな表記・現代かなづかい】

おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき

【現代語訳】

奥深い山の中で、散り積もったもみじを踏み分けて、妻を慕って鳴く鹿の声を聞くときこそ。ひとしお秋は悲しい思いがすることだ。

【文法・修辞】

係り結び 係助詞「ぞ」と「悲しき」で係り結び。形容詞「悲し」の連体形。

百人一首 四番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

山辺赤人

【ひらがな表記・現代かなづかい】

たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ

【現代語訳】

田子の浦の海岸に出て、はるかなかなたを見渡すと、白一色の富士の高い峰に、今も行きがしきりに降っていることだ。

【文法・修辞】

●「白妙の」白いものにかかる枕詞。ここでは雪。

●つつ止め 接続助詞「つつ」で終わることで、「雪が降り続いている」ことを表す。

●万葉集の原歌は「田子の浦ゆ うち出てみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」

「ゆ」は上代語で「から」の意味。「田子の浦から出てみると 真白に 富士の高い峰に 雪が降っている」と、「田子の浦から」見晴らしの良い場所に出て富士山を見たというのが原歌。新古今集では「田子の浦で」見たことになる。

【作者・背景】

●『新古今集』巻6

●山辺赤人(山部赤人) 生没年不詳

三十六歌仙の一人。奈良時代初期の下級役人。柿本人麻呂とともに「歌聖」と謳われた。

●田子の浦

駿河湾西沿岸。現在の静岡県静岡市清水区興津町の東北から由比・蒲原あたりの海岸。田子の浦から出て富士山が見えたとすると、薩埵峠の辺りと推測されている。世界文化遺産に認定された三保の松原は薩埵峠よりも16km南の地点。

百人一首 三番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む

柿本人麻呂

【ひらがな表記・現代かなづかい】

あしびきの やまどりのおの しだりおの ながながしよを ひとりかもねん

【現代語訳】

山鳥の尾のように長い長い秋の夜を、私は、恋しい人の訪れもなく、たったひとりで、寝なければならないのだろうか。

【文法・修辞法】

●「あしびきの」は山をみちびく枕詞。

●「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の」までが、「長々し」をみちびく序詞。

●「長々し」は形容詞「長し」を2つ重ねた畳語。

●「ひとりかも寝む」の「か」は疑問の係助詞。「む」は推定の助動詞「む」の連体形で、係助詞「か」と係り結びしている。

【作者・背景】

●『拾遺集』巻13収録

●柿本人麻呂(生没年未詳)

持統・文武の両朝(690~707)に仕えた。飛鳥時代の代表的歌人。三十六歌仙の一人。歌聖と呼ばれる。万葉集に多くの作品を残す。身分は低かったが、宮廷歌人として、天皇の行幸のお供をし、すぐれた歌を献上している。長歌でも有名。

●山鳥に関する俗信

山鳥を婚礼の祝いに贈ってはならないとする俗信はこの歌から生まれた。

●柿本神社(旧 人丸神社)

兵庫県明石市人丸(ひとまる)町にある柿本神社

江戸時代に小笠原氏により柿本人麻呂を祀る神社が創建された。人丸(ひとまる)から「火止まる」として防火の神様とされることもある。

最寄駅 山陽電鉄「人丸前」駅から徒歩5分。JR「明石」駅から徒歩20分。

百人一首 二番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

持統天皇

【ひらがな表記・現代仮名遣い】

はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすちょう あまのかぐやま

【現代語訳】

春が過ぎて、いつのまにか夏が来たらしい。夏に白い衣を干す天香久山のほとりに、あのように真っ白い衣が点々と干してあるよ。

【文法・修辞】

●「春過ぎて 夏来にけらし」で二句切れ。

●「けらし」は、「けるらし」の「る」が脱落したもの。過去の助動詞「けり」の連体形と推定の助動詞「らし」の終止形。

●「白妙の」は衣や雪など白いものに係る枕詞。

●「てふ」は「といふ」が縮まった形。伝聞。

【作者・背景】

●持統天皇(645~702)

女帝。第42代天皇。天智天皇の第二皇女で、天武天皇の皇后となり、天武天皇の死後、持統天皇として即位。藤原京に遷都した。政治面では藤原不比等らに命じて大宝律令を編纂させるなどした。『万葉集』に持統天皇の歌は長歌2首と短歌4首が収められている。長歌2首と短歌2首は天武天皇の死の悲しみを歌った作品である。

●『新古今集』夏・175収録。

『万葉集』巻一の「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」が原歌。素朴で直接的な表現の『万葉集』に比べ、『新古今集』では、「夏来にけらし」「衣ほすてふ」と伝聞表現でより観念的になっている。『新古今集』の成立した1200年頃には、7・8世紀の『万葉集』の夏に衣を干す習俗は廃れていたのか、それとも新古今集の編者の好みで伝聞表現を選択したかもしれない。

●天の香具山

標高152メートル。大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)のひとつ。奈良県橿原市にある。

旺文社英検ネットドリル

百人一首 一番歌

【原文・歴史的仮名遣い】

秋の田の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ

天智天皇

【ひらがな表記・現代仮名遣い】

あきのたの かりおのいおの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ

【現代語訳】

実りの秋の取り入れに当たって、刈り取った稲穂を荒らされないように番をする、田のほとりに作った仮小屋に泊まっていると、屋根をふいてある苫の目が荒いので、私の袖は、すき間からもれる夜露に、しきりにぬれることだよ。

【文法・修辞】

●「かりほ」は「刈穂」と「仮庵」の掛詞。「仮庵(かりいほ)」の「い」を略して「かりほ」。「かりほの庵」は「いほ」で語調を整える重ね言葉。仮庵は田を荒らす害獣を防ぐために仮に作った小屋。

●苫をあらみ「~を+形容詞語幹+接尾辞み」は、原因・理由を表す。「~が~なので」と訳す。苫は菅(すげ)や萱(かや)の長い草で編んで屋根をふいたもの。苫で編んだ屋根のすき間が荒いので、夜露に濡れるということ。

●衣手=袖のこと。袖が濡れる=泣き悲しむことを連想させる表現。

●つつ止め。「つつ」は動作の反復・継続を表す接続助詞。「つつ」で止めるのを「つつ止め」といい、余韻・余情を表す。

【作者・背景】

●天智天皇(628~671)

第三十八代天皇。舒明天皇の第一皇子。645年、皇太子(中大兄皇子)の時、中臣鎌足と協力して、蘇我入鹿を滅ぼし、大化の改新を行った。即位後、近江の大津宮に遷都した。これを縁として近江神宮では毎年かるた選手権大会が開かれている。

●『後撰集』秋中・302に収録。

『万葉集』巻十に「秋田刈る仮庵を作りわが居れば衣手寒く露ぞおきける」と詠み人知らずの歌があり、元は無名の農民の労働歌であったものが、平安・鎌倉時代の好みにあった言い回しに変えられ、さらに天智天皇の作と誤り伝えられた説が有力である。

【確認問題】

次の(   )に入る選択肢はどれか。

「かりほ」は「刈穂」と「仮庵」の(    )。

1.枕詞   2.掛詞  3.序詞

「英気」と「鋭気」 養うのは?

ある字幕映画で見た「鋭気を養え」

たまにしか使わないから誤字はあるかもしれないが、リリース前に校閲はしっかりしてほしい。

国語辞典を引くと、

【英気】すぐれた気性・才気。何かをしようとする気力。

例文 英気を養う(=能力が十分発揮できるよう、休養をとる)。

【鋭気】鋭い気性・性質。鋭く強い気勢・意気込み。

例文 鋭気をくじく。

とある。

英気は才能・能力寄りの意味。鋭気は気性寄りの意味。

英の漢字は英雄のように、すぐれているという意味がある。適度に休まないと、十分に能力は発揮できないが、どんだけ眠っても持ち前の気性は鋭くならないということか。

「被告」と「被告人」の違い

被告は民事裁判で訴えられた人や団体のこと。被告人は刑事裁判で起訴された人のこと。よくマスコミが刑事事件に関して「被告」と呼ぶことが多いが、正しくは「被告人」である。

被告

民事裁判では、訴えたものを原告、訴えられたものを被告という。民事裁判は金銭の貸し借りなど個人の私的な紛争に関するものであるから、裁判所に訴状と必要な費用を納めれば訴訟が開始されるため、誰でも原告になることができるし、誰でも被告になりうる。たとえ架空請求であっても訴状が出されれば裁判は開始される。もちろん、証拠がなければ請求は棄却される。その意味では「被告」に道徳的に非難される要素はない。

「被告」の文言は民事訴訟法の条文にある。

第百十五条 確定判決は、次に掲げる者に対してその効力を有する。

 当事者

 当事者が他人のために原告又は被告となった場合のその他人

 前二号に掲げる者の口頭弁論終結後の承継人

 前三号に掲げる者のために請求の目的物を所持する者

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=408AC0000000109_20230606_505AC0000000028#Mp-At_115

・被告人

刑事事件で検察官に起訴された者が被告人である。起訴されると刑事裁判が開始され、有罪判決を受ける可能性がある。警察に逮捕されただけでは、不起訴になる可能性もあり、正式にはまだ「被告人」ではない。起訴前に身柄拘束された者は「被疑者(ひぎしゃ)」という。起訴後は、「被告人」となり、刑事裁判が始まる。

「被告人」の文言は日本国憲法の条文中にもある。

第三十七条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。

 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。

 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION

刑事訴訟法中における「被告人」の文言は次のような条文にある。

第六十条 裁判所は、被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある場合で、左の各号の一にあたるときは、これを勾留することができる。

 被告人が定まつた住居を有しないとき。

 被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき。

 被告人が逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとき。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=323AC0000000131#Mp-At_60

・被疑者

犯罪を犯したと疑われている者で、起訴されていない者は「被疑者」である。刑事訴訟法には被疑者の逮捕について次のような条文がある。

第百九十九条 検察官、検察事務官又は司法警察職員は、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるときは、裁判官のあらかじめ発する逮捕状により、これを逮捕することができる。ただし、三十万円(刑法、暴力行為等処罰に関する法律及び経済関係罰則の整備に関する法律の罪以外の罪については、当分の間、二万円)以下の罰金、拘留又は科料に当たる罪については、被疑者が定まつた住居を有しない場合又は正当な理由がなく前条の規定による出頭の求めに応じない場合に限る。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=323AC0000000131#Mp-At_199

捜査機関に犯罪を犯したと疑われていることが問題であって、被疑者は常に逮捕されるわけではない。実際、統計では逮捕率は3割~4割程度である。逮捕されないで進行する刑事事件は在宅事件という。

犯罪白書によれば、令和2年の検察庁既済事件は28万1342人で、このうち逮捕されなかった人は17万6076人います。
身柄率(逮捕率)は約34.8パーセントになります。

例年、検挙された事件のうち逮捕に至る割合は概ね3割~4割程度です。

https://atombengo.com/column/20945

・容疑者

「容疑者」は法律用語ではなく、マスコミ用語である。おおむね被疑者と同じような意味と解されるが、字数や常用漢字の制約もないのだから、なるべく法律用語である「被疑者」「被告人」を使用すべきであろう。

「容疑者」呼称の登場の経緯は、そもそも1980年代まで日本のマスコミは刑事事件の犯人に対して、実名呼び捨てが通常だったが、冤罪事件やプライバシー意識の向上があり、人権に配慮した形で、呼び捨てではなく「容疑者」をつけるようになった。最初に使い始めたのはNHKと産経新聞らしい。

メディアが逮捕された人物や書類送検された人に「容疑者」という呼称を使い始めたのは1984年、NHKとフジテレビ、『産経新聞』が最初だった。

この年、共同通信社の現役記者だった浅野健一さんが『犯罪報道の犯罪』を上梓し、「マスコミの実名報道は社会的制裁」と北欧の例を基に容疑者の匿名報道の必要性を訴え、関心を集めていた。

マスコミはそれまで容疑者を呼び捨てしていたのをやめて「容疑者」と呼称を付けることで犯人と断定したわけではない、人権に配慮しているという形をとった。5年後の89年、『毎日』『読売』『朝日』そして共同通信、民放他局も「容疑者」を付け始める。

「〇〇」という呼び捨てから「〇〇容疑者」と替わった当初は違和感があった。と同時に、確かにまだ犯人と決まったわけではない、容疑上の人なのだ、という意識も出た。

しかし、それから30年以上たった今、そんな新鮮な思いで記事を読んだり、ニュースを視聴したりする人はどれくらいいるだろうか。

現在、20歳前後の学生たちに聞くと、「容疑者」イコール犯人といったイメージをもつのが大半だ。マスコミの報じ方が「容疑者」としながらも犯人視している報道が目立つのかもしれない。報じる側も「容疑者」と付ければ問題ない、と「容疑者」呼称に安住している気がする。

https://www.bengo4.com/c_18/n_15185/

だが、問題の本質は、マスコミが捜査機関とべったり一体化し、逮捕=有罪と断定報道する報道姿勢であり、確定判決が出るまでは無罪の推定を受けるという原則を無視している点にある。冤罪や誤認逮捕の場合は、何の非もない一般市民が根掘り葉掘りプライバシーを暴き立てられ、社会的に取り返しの付かない報道被害を受けるのであるから、そもそも安易な断定報道は慎むべきだろう。

知識のある読者諸賢には正確な法律用語の使用をお願いしたい。

日本の河川 流域面積ランキング

日本の河川の広さ(流域面積) トップ10

順位河川名流域面積流域都道府県
1位利根川1万6840平方キロ群馬県・栃木県・埼玉県・東京都・千葉県・茨城県
2位石狩川1万4330平方キロ北海道
3位信濃川1万1900平方キロ長野県・新潟県
4位北上川1万150平方キロ岩手県・宮城県
5位木曽川9100平方キロ長野県・岐阜県・愛知県・三重県
6位十勝川9010平方キロ北海道
7位淀川8240平方キロ滋賀県・京都府・大阪府
8位阿賀野川7710平方キロ福島県・新潟県
9位最上川7040平方キロ山形県
10位天塩川5590平方キロ北海道